もう30年以上も前になりますが、ある不思議な事が起こった夜の話です。 市内の団地から、田舎に引っ越してきてまだそれほど経っていなかった頃だったと思う。辺りは田園風景と山々が連なる自然の中だ。それまで過ごしていた、賑やかな商店街や街の喧騒とは無縁で、やや寂しさも感じならも、慣れればすぐに馴染むだろうと穏やかな日々を過ごしていた。 初めて住んだ一軒家であったが、何よりも嬉しかったのが、自分の部屋がある事だ。そして夏の夜も山の中は涼しい。カーテンや窓を全開で寝ても、目の前には自然の風景と虫の声が広がるばかりだ。これは快適だなと、自分の空間がある事に子どもながらに感動したものである。 それから、何日か経った頃、いつものようにカーテンと窓を全開にしてベッドに横たわった。自然に流れてくる風を感じながら、眠りにつくはずだった。 いつもとは何かが違う… しばらくして、妙な違和感を覚えるようになった。 まず、全く眠れる感じではないのだ。自分でいうのも何だが、割と寝つきは良い方ですぐに眠れる方であったのだが、この日は全く違った。例えるなら、無理矢理瞼を誰かに開けられているような、嫌な感触があった。 いつもなら心地良い風も、真夏にも関わらずこの日はゾクッとするような寒気を感じる不気味さがあって、さらに恐怖を感じたのは… 誰かに見られている? 妙な視線と気配を感じた。ここは田舎の山中で、街灯もまばらで車さえも、夜間は通行する事は殆どない。そのような場所に歩いて来る人ならば、なおさらだろう。 それも、気配というのが家の前や庭ではなくて、窓のすぐ外にあるベランダにあるのだ。ここは2階だし、仮に誰かが上がってこようとしたら、少なからず何かの音はするだろう。なのに、足音ひとつもない。 気のせいか、眠れないから不安になってしまったんだろうと自分に言い聞かせて、なんとか冷静さを取り戻そうとする。思い切って、ベランダに出てみようと体を起こそうとしたものの… 体が…動かない! 金縛りというものは、聞いた事はあったがまさか自分がなるとは思いもしなかった。別室で寝ている家族に助けを求めようとしたが、全く声が出せない。 そればかりか、ベランダにいた「何か」が窓を抜けて段々とこちらに近づいてくるのだ。必死に体を動かそうとするが、体は依然として何かに縛られたように言う事をきかない。 これには流石にただならぬ恐怖を感じ、もう逃げれないと思ったところで、何とか体が動いた。 とりあえず、ドアを開けて明かりをつけよう。 そうすれば、別室には家族もいるし気付くはずと思い、ドアに走って行き、あと少しという所まできた。 体も動いたし、もうこれで大丈夫だという僅かな安堵もあったのだろう。ドアノブに手をかけようと手を伸ばしたところ、次の瞬間恐怖の底へと突き落とされた。 「何か」に思い切り背中を引っ張られたのだ。 予想外の出来事に、思わず尻もちをついてしまい、恐怖のあまりしばらく立てなくなっていた。 早くドアを開けないと、そう思っていたところ、向こうからドアが開いて驚いたが、母が立っていたので安心した。 少し涙ぐんでいたので、心配していたのかすぐに状況を尋ねてきたので、「早く明かりをつけようと思ってドアへと急いだ」と話したら、「明かりって、もうとっくに朝になっているじゃないの」と言われ、絶句した。外は薄暗い早朝でもなく、完全に日差しが差し込む朝となっている。 そんなはずはない! 背中を引っ張られたときはまだ辺りは真っ暗だったはず。それから母がドアを開けるまでに体感的にもおよそ1〜2分くらいだ。その僅かな時間に周囲がこんなにも明るくなるはずがないのだ。 それからというもの、この出来事がトラウマになり、しばらくの間は明かりをつけた上で、窓やカーテンを閉めて寝るようになった。いや、そうしなければ寝られなくなってしまったと言った方が正しいか。 暗闇の中で眠るのは、また得体の知れない「何か」に見られているような気がしてならなかったのだ。 この場所やその周辺で、何か事件や事故があった話もなく、それ以降はあの夜のような事は起こらなくなった。自分でもあれは夢だったのでは、と思っていた時期もあったのだが… いや、あれは夢なんかじゃない。 あの妙な気配、そして何より背中を引っ張られた感触は30年以上経過した今でも、鮮明に記憶している。 自分の背中を引っ張ったのは、確かに人の手だった。 今、この出来事を思い返して気にかかるのは以下のふたつだ。 暗闇の中で、気配を感じた「何か」は一体何だったのかという事と、背中を引っ張られた直後、母がドアを開けてくれなかったら自分はどうなっていただろうという事だ。 おそらく、今後も明確な答えが出る事はないだろう。 でも、それで良...