霊が出てくるような怖い話ではないですが、実際に体験したことです。 私がまだ小学生だったころ、近所に老夫婦が営む駄菓子屋があった。 夫婦が住む敷地の中に、居住スペースと駄菓子屋、そして小さな畑があった。 いつも母に持たせてもらったお金でその駄菓子屋に行っては好きな駄菓子を買っていたものだ。 老夫婦は笑顔で接客が良くて、よく物語などに出てくる心優しい人たちではあまりなかった。 「今日は何円持ってるの?」おばあさんはよくそう話しかけてきた。 「20円。」 「じゃあこれなら買えるね~」 「そのお菓子じゃお金足んないよ」 「またマシュマロ買うのかい?」 と今思えば本当にそんな態度だった。狭くて古くてさびれた駄菓子屋にはお菓子を買うだけで長居はしたくないといつも思っていた。 やたら話しかけてくるおばあさんも少し苦手だった。 学校の友達もみんなそう思っていたから、あまり繁盛してはいなく、いつ行っても私一人で他に人がいる方が珍しかった。 ただ、私は家が近く、しょっちゅうその店に行っていたから顔も覚えられていたからやたら話しかけてきたのかもしれない。 お節介なおばあさんだとその頃は思っていた。 おじいさんはいつも畑を耕していた。目の前はコンクリートの道路があり、住宅街に似つかわしくない小さな畑でいつも一人で何かを耕していた。 挨拶してもろくに返事はしてこなかった。 母も何回か駄菓子屋を訪れた時に、無口だったこと、何かをぶつぶつ言いながら怒っていたことを目撃しており、次第に私にあの駄菓子屋に一人で行かない方がいいと言ってきた。 でもコンビニもあまりなかった時代、お菓子を買うにはあの駄菓子屋はとても安いし、子供だからお菓子は欲しい。どうしても買いたいときは親や兄に着いてきてもらって買っていた。今思えばおかしな状況だ。 誰かが一緒に来たときはおばあさんは私に何円持っているかなんて聞いてこなかった。 いつからだろう。店が閉まりがちになったのは。 ほぼ毎日開店していた駄菓子屋が開いていない日が続いた。 老夫婦だったし、病気になったか。入院したのではないか。そんな噂を家族の間でもしていた。 駄菓子屋は閉まっていても、なぜかおじいさんは畑にいた。同じく何かを耕していた。 野菜を収穫しているというよりは、いっつも畑をいじくっている。そんな感じだった。 そんな日が続いたある日。 早朝、自分の部屋で寝ていると人が集まって何かを話している声が聞こえた。大きな声ではなく、物静かな感じだ。 カーテンを開けると、駄菓子屋に警察らしき人が何人かと、ブルーシートを持った人が数名いた。パトカーもいたような気がする。 何で駄菓子屋に警察が?と不思議に思い、親の部屋に走って必死で起こした。両親は外を見てから黙り込み、 「気にしないで。まだ寝ていなさい」と私に言った。 幼かった私には外で起きているのか分からなかった。ただこういう時、普通気にするなとか、見ない方がいいという親の言葉は返って興味が湧くものだが、なぜか本能的に本当に見ない方が、気にしない方がいいと思い、私はそのまま自分の部屋に帰って寝ることにした。 それから何日かして駄菓子屋は本当に閉店した。 あの日、おじいさんが自宅で首を吊って自殺したのだ。 しばらく店や畑はそのままにして、おばあさんが一人で住んでいたがそのうちにどこかにいなくなってしまった。 その後、畑は埋め立てされ、コンクリートで固めた駐車場になった。そこそこ車が停めてあり繁盛していたようだが、5年くらいでその駐車場もなくなり今は建売住宅が建っている。 これは私がのちに聞いた話だが、駄菓子屋のおじいさんが耕していた畑は、埋め立てして駐車場になる話が持ち上がった。 生活が苦しくなり、おばあさんが儲かる駐車場にするという契約書にサインをしたのか、本当は本人たちの土地ではなく、もとの所有者がそうさせたのかは分からないが、おじいさんが大切にしている畑をなくすことになった。 ここに駐車場を作ってほしくないと、おじいさんは近隣住民に署名を頼みに来た。もちろん我が家にも。 後に母が言うには、もう精神的におかしくなっていたおじいさんの話は支離滅裂だったそうだ。署名を求められたが、母は世帯主が不在のため分からないからと逃げたそうだ。 きっと近隣の人たちもそうしたのだろう。 署名はうまく行かなかったのだろう。おじいさんは自分が毎日手をかけていた畑が奪われると悟った。 その他にも色々な事情があったのかもしれない。お金に困っていたかもしれない。時々癇癪を起して怒っていたのは精神的に鬱になっていたからかもしれない。何に絶望して自分の命を絶ったのか本人しかわからないが、、 私があの日の朝見たブルーシートはおじいさんを運び出す時に使っていたも...